9th. 私のダルマとは

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今回は、以前の投稿「4th. ガバヴァッド・ギーター クリシュナ先生の教え」でも少しお話したことがある「ダルマ」について。

ダルマの一般的な意味は、正義や義務、自分の生きるべき道、行くべき道を歩むこと、日本語では「業」という意味。
これまで何となく職業という意味かなぁと思っていたけど違いました。もう少し深い意味なんですね。

バガヴァッド・ギータにおいて戦士アルジュナさんは、この「ダルマ」を正義や義務と解釈していた。
だからアルジュナさんは、親戚や友人と戦うことが「正義の戦い」なのか、「戦士としての義務を果たす場」なのか、自身のダルマなのかと、ダルマがわからなくなったと、戦いの直前で意気消沈していたんですね。
アルジュナさんの気持ちわかります。

でもこの「ダルマ」の意味をもっと根本的に捉えると、ダルマとは「あるものの本質」のこと、つまり「あるものをあるものたらしめるもの」がダルマだそう。
例えば、太陽のダルマ(本質)は輝くこと、輝かなければ太陽ではない、といった感じ。

私たち人間に置き換えれば、私たち人間の本質、人間を人間たらしめているものが人間のダルマ。
人間のダルマに忠実に生きてこそ人間。人間のダルマに反していたら人間ではなく妖怪人間になってしまうのか?(すみません、冗談です。)
では、人間のダルマとは?という疑問がわいてきますよね。
人間を人間たらしめているものは?人間の本質とは?それに忠実に生きるとはどう生きることなのか?と。

この「自分とは何か」「どう生きればよいのか」という人間としての根本的な問いに対する理論的な答えと、それを心身で実感するための実践的な方法が、このバガヴァッド・ギータの700の詩節で、クリシュナ先生の教えとして語りつくされているそうです。
少しバガヴァッド・ギータに興味がでてきました?

話を戻して、自分たちに置き換えてみると、私の/あなたのダルマとは、私/あなたを私/あなたたらしめているものとは、この人生においてこれをしなかったら私/あなたでなくなるものとは何か?ということになります。
そして、その教えはこのバガヴァッド・ギータの中に、答えは自分の中にあります。

知りたいと思いませんか。自分を自分たらしめているもの。自分とは。これをしなかったら自分でなくなるものとは。

知りたいーーー。と思ったところで今日はここまで。
「ダルマ」についてのお話でした。

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より個々のライフスタイルに合わせ 時間も場所も自由に 自分らしく選択し生きていく。 そんな新しいスタジオとしての在り方 生き方・Life Styleをお伝え...

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